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AL視点で眺めてみれば・・・

柏レイソルの試合ナドを「ALで観戦してるっぽく」つぶやくブログ

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さよなら将軍。 「勝手評価 繰上げ14」

これから起こる悪夢のプロローグにしては強烈すぎる大野の移籍が発表されましたね。

近年のレンタル移籍時の扱われ方や、チームの編成への不満があったことは容易に想像できます。ラモスコーチ招聘後から急に動きが良くなったので、報道がでたときは正直「ヤバイ」と思いましたが、それでも「無茶なスケジュールの」「同じJ2の」ヴェルディ移籍は「環境悪くないの?」と皮肉の一つも言わなきゃヤッテラレマセン。

中谷~瀬戸までの新入団選手たちには
最敬礼

オネガイシャース!

崩壊だとか、草刈場とかクソミソに言われているチームに来てくれて、ありがとうございます。(特に高卒新入団選手には、土下寝クラスの感謝の意を送ります。)


「背番号順に語る 勝手な選手評価」は移籍につき、繰上げで14です。

大野 敏隆(おおの はるたか)Harutaka ONO

(2005年個人成績)
出場     18
得点      1
シュート   19
アシスト    3
警告      3
退場      0

入団年    97
勝手な愛称  将軍


評価コメント
97年入団は、復帰した根引、平山、明神(96年入団)に次いで古く、在籍年数では立派に「チームのベテラン」です。
ただ、厳密には「2度のレンタル」を経験しているので、実際のチーム在籍期間は玉田と同じくらいと考えると分かりやすいかもしれません。

レイソルの絶頂期を牽引したのは、間違いなく大野だと思います。トップ下に君臨して、平山、光輝、北島などへ「シビれる」パスを連発、代表に呼ばれると、ナンバーワンの心肺機能を見せるなど、本当に「ファンタジスタ」な男でした。それ故、特にその時期に郷愁を感じてしまう(オールドファンに片足をつっこんだ)私は「将軍」と勝手に呼んでいたりもします。

ただ、レイソルの成績の低迷と共に、大野にも苦しい時期がやってきます。良いときにも見え隠れしていた「パスを出すと止まる」クセは、悪いチーム状況では更に際立ってしまいました。また、攻撃的に起用されたリカルジーニョがチームの中心に置かれたため、一度目は出場機会を求めて、二度目は「ほとんど戦力外」でレンタル移籍を強いられることもありました。

04シーズン、得点力不足に苦しむチームは大野を呼び戻します。入れ替え戦で「一瞬の煌き」をみせたものの、入れ替え戦に出ざるをえなかったので、当初の大野への期待を考えると、複雑なだったのを良く覚えています。

05シーズンになっても、大野の悩みはつきなかったのかもしれません。本来の自分のポジションには「早野監督肝入り」(「FWにはスーパーな外人は要らない」)でクレーベルがやって来たワケですから。出場試合数をみても、貴章(19試合)よりも少ないという事実は、チームの自分への評価に疑問を感じるには十分過ぎる理由になるのでは。ただ、いつまでたっても「大野のまま」なのを本人に自分で気づいてほしかったです。
「何をどうしたのか」は分かりませんが、ラモスコーチは大野にとってカンフル剤になったのでしょう。私が気がついたのは川崎戦でしたが、パスの後に「走る」ようになっていました。天皇杯の神戸戦で味方に「もっと追い越す動きをしろ」と身振り手振りで訴えたかと思うと、とうとうヴェルディ戦では「誰が見ても大野のゲーム」を演出して見せました。
大野が試合に出ると、チームが最も良くなるのはセットプレーだと思います。個人的には「不可解な玉田偏重のプレースキッカー」→玉田離脱で大野が蹴るようになってからセットプレーの期待感は確実に高くなりました。実際にゴールも決まっていましたし、細かく「セットプレー→ゴール率」みたいなものを分析したら、大野キッカー時のほうが大分高いのでは。
入れ替え戦後に「走らなきゃ~」的なコメントをしていた大野に、「不満はわかるケド、昔の自分は?」とか、「在籍年数ではベテランなんだから、報道じゃなくて、もっと早く選手に対してそれ言ってよ」と思ってしまった事も一応白状しておきます。

結局、降格してしまったチームですが、外人の去就が不透明な中、来期は逆に「大野のチーム」として、本領を発揮できるトップ下に固定して、若い前線を指揮する大野を思い描いていました…今日までは


「自分の選択に悔いの残らないよう、頑張って下さい」
今の気持ちはこれ以上でも、これ以下でもありません。残るのは、ただただ「虚しい」気持ちです。
ネバーエンディングストーリーで言う「虚無」ってのはこんな感じなんでしょうか?


やっぱり、キャプテンの去就が「ほぼ移籍」だとチームは崩壊していくんでしょうね…。
未確認情報では、クレ、レイナウドも移籍ほぼ決定のようです。「対甲府2戦目のスタメン」から何人残るんでしょうか…



あぁぁ~
アァーーーーーーーーー
チックショォーーー
大野ォー    大野ォー    大野ォー


以前、「明鏡止水」とか偉そうにノタマッテいましたが、現実に古参戦士の離脱を知ると「曇鏡荒水」という心境です。
ただ、裏切り者とかは思いません。「フーン、頑張って」と思うだけです。「新天地での活躍を祈ります!」とか「今までありがとう」とは、さすがに言えません。

あんまり悪口を言いたくありませんが、「イラッ!」とくるのは、結果的にレイソルで新戦力のスカウティングをしただけのラモスです。降格決定直後にテレビに出てたり、「天皇杯で勝ったらヴェルディにとって~」との発言(真偽不明)とか、最後のミーティングを欠席とか、
アンタが大事なのは、結局ヴェルディだけかい?おまけに、大野まで洗脳して連れて行きやがって…
ラモスの純血主義的な組閣を見ると、手の平をかえしたように、「大野には緑の血が流れていない」とか言って、「大野ベンチ外→ユース出身者ベンチ入り」という可能性があると思うんですが…



大野への思いを断ち切るとともに、こんなことになる前の素直な評価も知っていただきたいと思い、11月27日のエントリをもう一度掲載させてもらいたいと思います。「勝手評価」とそんなに内容は変わらないかもしれませんが…
「もう読んだ!死ね!!」という方は、ブラウザを閉じちゃって下さい。


『将軍の帰還』

読んでいただくにあたって…
今回は個人的に思い入れの深い大野について、「チョットうっとおしい」文体で書いています。「オールドファンうざい」とか「作家きどり死ね」な方は、また今度おいで下さい。
読んでいただける方にお知らせをしますと、今回のテーマは「ナンバーに載ってそう」な大野の文章です。

京V戦終了後、サポーターへ挨拶に向かう大野は「いつもの様に」脱いだユニフォームをパンツの後ろに突っ込んでいた。ただ「いつもと違う」のは、その仕草が誰にも文句を言わせない仕事をした、という威厳に満ちていた事だった。
そんな大野を見て、私は「将軍が帰ってきた」と思い、周りに気付かれぬように小さくガッツポーズをした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紀が代わる直前まで、大野敏隆という選手はは確かに「将軍」だった。二十歳そこそこの選手が「10番」を背負い、渡辺光、平山という両翼を従え、時々で代わるFWの選手たちに決定的なパスを供給し、時には自らゴールを陥れるなど、柏レイソルというチームの攻撃について全ての指揮を一手に担っていたのである。そんな大野を形容するには「将軍」という言葉が最も適していると私は感じていた。
しかし、世紀の変わった01年を境に将軍は輝きを失っていく。小さな、しかし確実な綻びがチームに、そして大野に忍び寄っていた。


年、国立競技場での決戦に「負けずに」敗れてしまったチーム、選手は、いやサポーターですらも、静かに忍び寄る綻びには気付いていなかった。前年の磐石な戦いも影響し、目立った戦力補強は柳のみで01シーズンを迎えたレイソルは「勝って当然」、「優勝以外ありえない」という意識でシーズンインして行く。それは、確実に戦力を整えた他チームに比べれば「慢心があった」と言われても仕方のない結果につながっていく。
負傷がちでコンディションの調わない洪、後に本人が「手を抜いた」と認めたという黄のふがいない戦い、相手に研究された北島等も影響し、前年から戦力の積み増しがないレイソルは、トップを伺うこともできず、中位を彷徨うことになる。
そして、チームの成績が振るわない時には当然に、また、「前年の成績による過信」も重なって、監督に批判が集束していく。
チーム、サポーターの信頼を失った西野監督は「二頭体制」というクッションを挟み、あっさりと解任されてしまうのだった。その後、01年を中位で終えたレイソルだが、02年には残留争いに巻き込まれていく。


れでも、大野自信は01年(26試合)、02年(22試合)と出場試合数をみれば、主力としてチームの「将軍」であり続けたようにも見える。しかし、チームの中心になっていたのはW杯にも出場した明神だったと言わざるを得ない。
象徴的な出来事がある。02年、初めて残留争いの渦に巻き込まれたレイソルだが、「帰ってきたエジウソン」や「2年連続のシーズン中の監督交代」を経て、迎えたのは最終節G大阪戦だった。相手の監督は「追い出した」西野朗。「運命の不思議」という使い古された言葉が当てはまるような状況だった。
この試合に、大野はベンチ入りしたものの、「出場していない」のだ。
シーズン途中就任したアウレリオ監督は数試合で、大野を「主力ではない」と判断したように思う。これは、「大野自身に原因があった」ともいえる。大野が自覚していたかは不明だが、「将軍」として輝いていた頃から「パスを出した後に止まるクセ」があった。低迷しているチームにとって、前線のブラジル人をカバーできる守備能力を中盤で担わなければならない事情もあり、「ディフェンス力が足りず、前線に顔を出す回数が物足りない」大野を使わない選択は、ある意味当然だったのではないだろうか。


、03年から、大野の流転が始まる。「将軍」だった男が「ただの傭兵」としてチームを渡り歩くことになるのである。
前年、何とか残留を果たしたアウレリオ監督は、「若手を中心とした新たなチーム」を目指してシーズンに入った。大野自身も当時25歳と「若手」と呼んでも問題ない年齢なのだが、アウレリオにとっての若手は10代だったのかもしれない。
チームに新たな息吹を吹き込んだのは、永田、近藤、大谷、谷澤、矢野貴ら10代の選手たちと、この年、超新星のように「とうとうブレイクした」玉田だった。
かたや大野は、わずか3試合の出場で、京都へとレンタル移籍をしてしまう。このレンタル移籍には、個人的見解として、出場機会を求めたポジティブな移籍という見方と、シーズン末の渡辺光、萩村の放出と絡めて「西野色の排除」という見方があるが、真相はフロントのみが知っているのだろう。
レイソルを中心に観戦している私は、その年に降格することになる「京都の大野」については多くを知らないのだが、セカンドステージ開幕戦に「違う色のユニフォーム」で帰ってきた大野は、ボランチのような使われかたもしていたが、さして目を引くプレーのないままひっそりと日立台を後にした。私自身も、大野よりも「平山→渡辺毅の美しいゴールシーン」を思い出すばかりである。


らに、その翌年の04年も大野の流転は続く。降格した京都から、形式上はレンタル終了でレイソルに戻った大野だが、04年の開幕は「柏」ではなく「名古屋」で迎える事になる。それも、「名古屋が買い取ってくれなかっただけ」とも見える、完全に戦力外扱いのレンタル移籍だった。
その年の名古屋-柏戦で決勝点をアシストしたのは、大野のせめてもの意地だったのかもしれない。
一方で、レイソルは流転というよりも、坂を転がり落ちるような状況にあえいでいた。「満を持して」招聘したはずの池谷監督だったが、開幕2連勝の後、6月末のC大阪戦まで、実に「3ヶ月間未勝利」が続いたのである。
その久しぶりの勝利も池谷体制を維持することはできず、レイソルは早野新監督でセカンドステージからの出直しをはかるのだが、前年にブラジル人監督の特徴ともいえるヌルい練習に慣らされたチームは簡単には立て直せない。基本的な運動量が足りず、局面の戦いでも勝てず、03年にチームの救世主だったリカルジーニョは負傷で戦列を離れていた。


にが幸いするのか分からない。リカルジーニョ不在は、玉田への配球元の不在に直結し、チームは攻撃的な中盤の選手を必要としていた。そこで、「思い出した」かのように、名古屋でも出番を失いつつあった大野を呼び戻したのである。
実は、私は黄色いユニフォームで帰ってきた大野の「最初の試合」を見ている。相手は忘れてしまったが、たまたま見に行ったサテライトの試合で、大野が登場したのである。その大野だが、「ただの大野」だった事をよく覚えている。相変わらず「パスを出したら、出しっぱなし」だったのだ。
たしかに、アピスパとの入れ替え戦では活躍した大野ではあったが、私の中で「将軍」が帰ってきたとは言いがたいプレーだったように思う。チーム全体が特殊な状況下で持てる以上の力を発揮していたのと、やはり玉田を中心に戦っていたのがその理由である。


年、05年のレイソルもこれを書いている時点で入れ替え戦を戦うことが決定している。サポーターズカンファレンス、乱闘事件、ラモスコーチ招聘、と悪い意味で話題に事欠かないシーズンにサポーターも我慢の限界を通り越して、何か達観してしまっているのかもしれない。
大野にとってはどんなシーズンだったのか。今年の新外国人が「大野とカブる」攻撃的な中盤のクレーベルだったことや、出場試合数から見ても「主力」とは言いがたい雌伏の年を送っているように見えたが、ある時から大野に変化が見えた。


れに気がついたのはいつだろうか。等々力での川崎戦では確信したように記憶している。
パスを出した後の大野が「動いている」のだ。明神の出場停止を受けて、ボランチの位置で出場していた大野だが、何度もクレーベルを追い越し、更にはディフェンスでも相手に積極的にアプローチをしていて、私はずいぶん驚いたことを鮮明に記憶している。
「大野にいったい何があったのだろう?」大野の友人でもない私には想像することしかできないが、時期を考えるとラモスコーチ就任の影響が考えられる。テクニックの高い大野はラモスコーチの好みのタイプなのは間違いないが、現役時代は同じ攻撃のオーガナイザーだったコーチに、何か感じるものでもあったのだろうか。
そういえば、ラモスコーチが「大野が良い」とどこかで発言していたような気もする。


だし、人生はそんなに甘くない。川崎戦の次節、大宮戦は「不可解なフォーメーション」や「明神の不在」も影響し、残留に大事な試合を落としてしまうのである。そして、この試合以来大野はベンチスタート、あるいはベンチ外へと追いやられてしまうのである。
しかし、再び大野に出場機会が訪れる。更に重要な清水戦を落とした後、クレーベルの出場停止もあり、広島戦のスタメンには大野の名前があった。
結局勝つことはできず、自動残留が非常に厳しくなった広島戦だが、いる選手、出た選手が全力を尽くすという決意がチームに浸透したのは収穫と言える試合だったように思う。


うやく、この文は冒頭のシーンへとつながる東京V戦に追いついた。
前節、広島戦からの流れを重視した早野監督は、キーパー以外は同じメンバーを送り出す。
玉田、レイナウド、クレーベル、明神と理由はさまざまだが、主力が不在のチームで、大野は獅子奮迅の活躍を見せる。時にはディフェンスラインまで戻りタックルでボールを奪い、抜群のキープ力を生かしてタメを作り、場合によってはそのままドリブル突破を見せる。セットプレー時にはキッカーとして「得点の匂い」のするボールを容赦なく送り込んでいく。
後半、ゴール前でフリーのシュートを外したのはご愛嬌だが、試合が終わった時には3アシストが大野の足から生まれていた。
チームの攻撃を一手に担うだけでも、「将軍」が帰ってきたといえるのかもしれない。しかし、この試合の大野はそれだけではなかった。パスを出しても止まらず、守備でも体を張ることを厭わず、チームへの貢献度は以前よりも遥かに高かった。
「将軍」は味方を指揮するだけでなく、「自ら、率先して戦う将軍」としてようやく日立台に帰ってきた。


局、今年も入れ替え戦を戦うチームで、シーズン終了直前になって、降格チーム相手に少しだけ良いプレーをしただけ。
今後の大野次第で、そんな評価になることもあるのだろう。今後も大野には同じようにプレーして欲しいと願ってやまない。そうすれば、柏レイソルは間違いなく上位を狙えるチームになる、と私は信じている。
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テーマ:柏レイソル - ジャンル:スポーツ

  1. 2006/01/10(火) 23:25:21|
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